<?xml version="1.0" encoding="utf-8" ?>
<feed version="0.3" xml:lang="ja" xmlns="http://purl.org/atom/ns#" xmlns:dc="http://purl.org/dc/elements/1.1/"><title>松山のカーネルおじさん</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/" /><modified>2008-11-14T17:10:49+09:00</modified><tagline>日常の、ほのぼの発見を記録。</tagline><generator url="http://jugem.cc/">JUGEM</generator><entry><title>郷愁をさそう「伊予のわらべ唄」</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=973704" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=973704</id><issued>2008-11-14T17:07:11+09:00</issued><modified>2008-11-14T08:07:28Z</modified><created>2008-11-14T08:07:11Z</created><summary>温和な気候風土に恵まれた愛媛は、人当たりが概ね優しく、また、先人の文化が、親から子へ、子から孫へと大切に伝承されてきた。「伊予のわらべ唄」もその1つであった。パソコンゲームもキャラクター人形も無かった昭和初期までは、子供の遊びといえば、手毬・お手玉・ゴ...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>芸術・伝統文化</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[温和な気候風土に恵まれた愛媛は、人当たりが概ね優しく、また、先人の文化が、親から子へ、子から孫へと大切に伝承されてきた。「伊予のわらべ唄」もその1つであった。パソコンゲームもキャラクター人形も無かった昭和初期までは、子供の遊びといえば、手毬・お手玉・ゴム跳び・べったん・ビー玉…など。子供らが集まると「わらべ唄」をハモリながら、遊びに興じていた。「わらべ唄」には、田舎の陽だまりのような暖かさがあり、幼い近所の仲間らの顔が懐かしく浮かんで来て、思わず顔がほころぶ。<br><br />
<img src="images/DSCN0744-1.jpg" width="400" height="300" alt="みかんの木" class="pict" /><br />
……………………………………………………………………<br />
●<span style="font-size:medium;">猫の嫁入り</span>（新居浜）※手毬唄。地域により地名が変わる<br />
「猫が嫁入りすりゃイタチが仲人　二十日鼠が五升樽さげて　どこへ通うぞ大阪へ　大阪弥兵衛さん入り婿するよ　大阪去られて新居浜へ来るよ　新居浜横道うどん屋の娘　姉が二十三妹が二十よ　姉にゃ少しも望みはないわよ　妹ほしさにおん願かけて　伊勢へ七度　熊野へ三度　村の薬師堂へ日々参る」<br><br />
<img src="images/DSCN0747-3jpg.jpg" width="300" height="400" alt="地蔵尊" class="pict" /><br />
……………………………………………………………………<br />
●<span style="font-size:large;">裏のばあさん</span>（周桑）※手毬唄。物語になっていて延々と続く。<br />
「裏のばあさん二階から見れば　金の屏風に錦のふとん　あられ茶釜に濃茶を入れて　だれが入れたぞ　お芳が入れた　お芳・芳・芳　吉田の生まれ　今は横田のおばさんがかり　縁に付けよか奉公さそか　奉公するとて何処ばりやらぬ　旦の庄屋の機織り奉公　木綿三反　紬を二反　……」<br><br />
<img src="images/DSCN0738-1.jpg" width="400" height="300" alt="寺の門" class="pict" /><br />
……………………………………………………………………<br />
●<span style="font-size:large;">うちの裏の</span>（周桑・川内）※お手玉・手毬。物語風。<br />
「うちの裏の柿の木で　雀が三羽とまって話してる　ゆうべ迎えた花嫁さん八畳座敷にすわらせて　金襴どんすを縫わしたら　あっち向いてもしーくしく　こっち向いてもしーくしく　何が悲しゅうて泣かしゃんす　わしの弟の千松が七つ八つから金山へ　金を掘るやら死んだやら　一年たっても状が来ん　三年ぶりに状が来て　……」(物語はこの後も続く）<br><br />
……………………………………………………………………<br />
●<span style="font-size:large;">さよなら三角</span> (周桑）※尻取り唄。遊びを終えて家路に着くとき唄う。<br />
「さよなら三角　また来て四角　四角は豆腐　豆腐は白い　白いはウサギ　ウサギは跳ねる　跳ねるは蛙　蛙は青い　青いは柳　柳はゆれる　ゆれるは幽霊　幽霊は消える　消えるは電気　電気は光る　光るは爺さんの禿頭」<br><br />
<img src="images/DSCN0741-1.jpg" width="400" height="300" alt="山里" class="pict" /><br />
……………………………………………………………………<br><br />
先祖から伝わる「伊予のわらべ唄」が、近年、途絶えようとしている。<br />
唄には、理屈に合わないストーリーもあるが、早口遊びのような軽快さが愉快である。伝承文化が消滅することなく、後世に受け継がれることを祈りたい。　]]></content></entry><entry><title>昔の賑わい夢物語、「森松」の風光。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=964080" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=964080</id><issued>2008-11-05T14:46:47+09:00</issued><modified>2008-11-06T13:09:59Z</modified><created>2008-11-05T05:46:47Z</created><summary>松山から、国道33号線を陶芸の里・砥部町に向けて15分ほど車で走ると左手に県陸運局がある。この辺りから道路が枝分かれしていて、左の細い旧国道を進むと沿線に古い建物が並ぶ。新しく4車線の新国道が開通するまでは、この界隈は商店が建ち並ぶ繁華街であった。
更に暫...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>歴史ストーリー</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[松山から、国道33号線を陶芸の里・砥部町に向けて15分ほど車で走ると左手に県陸運局がある。この辺りから道路が枝分かれしていて、左の細い旧国道を進むと沿線に古い建物が並ぶ。新しく4車線の新国道が開通するまでは、この界隈は商店が建ち並ぶ繁華街であった。<br />
更に暫く走ると、薄水色の「重信橋」に差し掛かる。今でこそ視界が大きく開けるのどかな風景だが、近年まで橋の袂に材木商が軒を並べ活気に満ちていたという。<br><br />
<img src="images/DSCN0798-1.jpg" width="400" height="300" alt="森松の里(川）" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">新・重信大橋の遠望。旧国道とは対照的に、飲食店やコンビ二が軒を並べ賑わっている。</span><br />
………………………………………………………………<br><br />
<img src="images/DSCN0793-1.jpg" width="400" height="300" alt="橋遠望" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">現在のは2代目となる重信橋。今も松山〜砥部を結ぶ重要な生活ルートだ。</span><br />
<br />
橋は長さ300メートル余りで、川に架かる橋としては四国で一番長い。明治37年（1904)に開設されたが、当時の橋は木材と鉄で出来ていたため長く持たず、昭和25年（1950)にすべて鉄で再建されたという。地震・強風に耐えられるよう、立体的なトラスト方式で建てられた。<br />
伊予鉄道は嘗て、森松まで線路を通していたが昭和53年（1978)に採算が合わず廃止した。今でこそ、県運動公園・動物園・こどもの城などの施設に加え、砥部焼き祭り・七折れの梅祭り・陶街道五十三次めぐりなどの観光行事が盛んで、もし森松線が現存していたら、伊予鉄道にとっても、行楽客にとっても、実に喜ばしい状況であったに違いない。<br />
<br />
<img src="images/DSCN0795-1.jpg" width="400" height="300" alt="橋入り口" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">嘗ては国道33号線の賑わいを見守った、珍しいフォルムのトラスト・重信橋。</span><br />
………………………………………………………………<br><br />
重信橋の麓に住宅地がある。今は亡き詩人・坂村真民さんの「タンポポ堂」がある。生前、真民さんは重信川の畔をよく散歩した。土手に咲く季節の草花や小さい虫たちに優しい眼差しを注いだ。<br />
この風光が詩人を育てたのだろうか。<br><br />
<img src="images/DSCN0789-1.jpg" width="400" height="300" alt="宅地" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">タンポポ堂がある土手下の住宅地は、穏やかに、深まり行く秋を迎え入れようとしていた。</span><br />
<br />
11月に入っても、日差しは衰えることもなく燦燦と降り注いでいる。わたしは座り込んで土手の草花を眺めている。坂村真民さんのように。<br />
　　<br />
「二度とない人生だから」　詩・坂村　真民<br />
　　　<br />
　　　二度とない人生だから<br />
　　　一輪の花にも　無限の愛を　そそいでゆこう<br />
　　　一羽の鳥の声にも　無心の耳を　かたむけてゆこう<br />
　　　<br />
　　　二度とない人生だから<br />
　　　一匹のこおろぎでも　ふみころさないように<br />
　　　こころしてゆこう<br />
<br />
　　　どんなにか　よろこぶことだろう<br />
<br />
<img src="images/DSCN0800-1.jpg" width="400" height="300" alt="川岸の花" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">土手の草花は、11月の日差しを受け嬉しそうに揺れていた。</span><br />
]]></content></entry><entry><title>300年のタイムスリップ。不思議の集落「和気（わけ）」</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=947039" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=947039</id><issued>2008-10-29T00:52:37+09:00</issued><modified>2008-10-30T23:35:01Z</modified><created>2008-10-28T15:52:37Z</created><summary>ぐずついた日々が漸く終わり、久し振りに太陽がまぶしい和気の里に、数人の遍路さんがマイカーで乗りつけていた。

県指定の文化財で三間一戸建の室町間の門。本堂には左甚五郎作の木彫もある。
ここ四国霊場53番「円明寺」は、749年（天平勝宝元年）に創建され、のち...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ノスタルジック</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[ぐずついた日々が漸く終わり、久し振りに太陽がまぶしい和気の里に、数人の遍路さんがマイカーで乗りつけていた。<br />
<img src="images/DSCN0770-1.jpg" width="401" height="301" alt="山門" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">県指定の文化財で三間一戸建の室町間の門。本堂には左甚五郎作の木彫もある。</span><br><br />
ここ四国霊場53番「円明寺」は、749年（天平勝宝元年）に創建され、のちに弘法大師が53番札所と定める。以後、たびたびの兵火で寺勢も衰えたが1633年（寛永10年）に里の豪族・須賀重久が再興したという。<br />
<br />
<img src="images/DSCN0772-1.jpg" width="400" height="300" alt="キリシタン" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">寺の敷地内に県下で唯一のキリシタン灯ろうがある。十字架のフォルム、浮き彫りのマリア像は巧妙にカムフラージュ。</span><br />
…………………………………………………………<br><br />
和気の里は実にユニークな集落だ。　予讃線は当初、松山〜堀江を直線で結ぶ予定であったが、当時若干25才の和気村村長が国の運輸関係者を説得。その情熱に屈し「和気駅」が実現したという。村長の名は佐々木義潔で、この地の偉人、伝説の人物である。<br />
「芳野（よしの）」さんの家が、至る所にある。八百屋・電器屋・タオル工場から一般家庭まで「芳野さん」のオンパレード。隣も、その隣も、ずっと芳野さん。<br><br />
<img src="images/DSCN0757-1.jpg" width="400" height="300" alt="民家-2" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">素朴な民家がそこここに点在。里の子らはどこで遊んでいるのだろう。</span><br><br />
またこの地は昔から、文化的風流人が多く住む里としても知られている。明治から昭和にかけて、人形芝居・三味線・浄瑠璃が盛んで、当時の「文化人郷土名簿」には里の出身者が名を連ねている。松山では特質の集落だ。<br />
<br />
<img src="images/DSCN0756-1.jpg" width="400" height="300" alt="民家ー１" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">静寂な集落の一角。ほのかにお香のかおりが漂い、時代をさかのぼった様な錯覚を覚える。</span><br />
<br />
円明寺の周辺を歩いてみると、時代をタイムスリップしたような古の佇まいに出くわす。　江戸、明治、そんな土塀の屋敷が点在し長屋門がつらなっていて、品の良いほのかなお香の香りが漂ってくる。実に静寂な集落だ。<br><img src="images/DSCN0767-1.jpg" width="400" height="300" alt="お好み焼き屋" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">お好み焼きの店舗も、周囲の雰囲気と違和感なくひっそりと営業していた。</span><br />
…………………………………………………………<br />
いま世界経済は株価暴落、円高ドル安と、国も企業も国民も、世界同時不況の渦中で翻弄されている。<br />
私は今、こうして和気の里に身を置いていると、このような状況が遠い星の彼方の出来事のように思えて仕方ない。<br />
和気の集落は、少なくとも外観は、いまも昔のままの風景と営みを保っているように見えた。]]></content></entry><entry><title>山裾の秋、吾亦紅（われもこう）さらさら揺れて。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=936432" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=936432</id><issued>2008-10-19T10:05:22+09:00</issued><modified>2008-10-19T01:05:35Z</modified><created>2008-10-19T01:05:22Z</created><summary>或る日、某テレビ画面で初めてこの曲を聞いた。
初老の、浅黒い、皺だらけの顔にサングラス。その奥の優しい目が遠くを見つめ、切々とギター語りで歌っていた。
…………………………………………………………
　　　「マッチを擦れば　おろしが吹いて
　　　　線香が　やけに　つきにくい
...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ノスタルジック</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[或る日、某テレビ画面で初めてこの曲を聞いた。<br />
初老の、浅黒い、皺だらけの顔にサングラス。その奥の優しい目が遠くを見つめ、切々とギター語りで歌っていた。<br />
…………………………………………………………<br />
　　　「マッチを擦れば　おろしが吹いて<br />
　　　　線香が　やけに　つきにくい<br />
　　　　さらさら揺れる　吾亦紅　<br />
　　　　ふと　あなたの　吐息のようで…」<br />
<br />
<img src="images/DSCN0730-1.jpg" width="400" height="300" alt="お墓" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">亡き母の墓前で、親不孝を悔やみ人生の再出発を告げる。秋の昼下がり。</span><br><br />
歌っているのは「すぎもと　まさと」。曲名は「吾亦紅」だった。<br />
　　　<br />
　　　「盆の休みに　帰れなかった<br />
　　　　俺の杜撰（ずさん）さ　嘆いているか<br />
　　　　あなたに　あなたに　謝りたくて<br />
　　　　仕事に名を借りた　ご無沙汰…」<br />
…………………………………………………………<br />
私自身の想いと同調するものがあって、曲のロマンチシズムと共に詩の情景が心に浮かび、知らず知らず涙があふれた。<br />
<br />
<img src="images/DSCN0737-1.jpg" width="400" height="300" alt="村の家" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">故郷には、母との思い出がぎっしり詰まっている。</span><br />
<br />
あなたはこんな小さな町で立派に母を生きた。    　　　     <br />
      <br />
      「あなたに　あなたに　謝りたくて<br />
　　　　山裾の秋　ひとり逢いに来た<br />
　　　　ただ　あなたに　謝りたくて…」<br />
<br />
　　　　小さな町に　嫁いで生きて<br />
　　　　ここしか知らない　人生だった<br />
　　　　それでも母を　生き切った<br />
　　　　俺、あなたが　羨ましいよ…」<br />
<br />
<img src="images/DSCN0742-1.jpg" width="400" height="300" alt="菜園" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">山裾の母の眠る墓の周囲は、もう秋の冷ややかな風が吹いていた。</span>　<br><br />
<img src="images/DSCN0749-2.jpg" width="360" height="480" alt="地蔵尊" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">ねんごろに祀られた地蔵尊が、おだやかに路傍に立っている。母の面影。</span><br />
…………………………………………………………<br />
ひと昔前の母は、誰もそうだった。　たいした贅沢も許されず、沢山の子供を育て、いつも朝早くから夜遅くまで働いていて、いつ寝るのかと思っていた。　生意気盛りの私は、そんな母によく口答えしたものだ。<br />
<br />
　　　「あなたに　あなたに　威張ってみたい<br />
　　　　来月で　俺、離婚するんだよ<br />
　　　　そう　はじめて　自分を生きる<br />
<br />
　　　　あなたに　あなたに　見ていて欲しい<br />
　　　　髪に白髪が　混じり始めても<br />
　　　　俺、　死ぬまで　あなたの　子供…」<br />
<br />
<img src="images/DSCN0748-1.jpg" width="400" height="300" alt="山里の夕暮れ" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">山里の日暮れは早い。「また逢いに来るよ！」と母に別れを告げた。</span><br />
　　　]]></content></entry><entry><title>湧ヶ淵伝説の奥道後を訪ねて。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=926439" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=926439</id><issued>2008-10-13T16:40:49+09:00</issued><modified>2008-10-13T07:41:09Z</modified><created>2008-10-13T07:40:49Z</created><summary>日本最古の歴史を誇る道後温泉から、石手川ダム方面へ約5キロほど山道を登ると、石手川渓流添いに堂々としたホテルの建物が現れる。近辺に、名物うどんの店、レストラン、ジャングル風呂などが建ち並ぶ。

石手川渓流に沿って巨大な「奥道後ホテル」が建つ。（ホテル裏...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ミステリー・スポット</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[日本最古の歴史を誇る道後温泉から、石手川ダム方面へ約5キロほど山道を登ると、石手川渓流添いに堂々としたホテルの建物が現れる。近辺に、名物うどんの店、レストラン、ジャングル風呂などが建ち並ぶ。<br />
<img src="images/DSCN0678-1.jpg" width="400" height="300" alt="ホテル建物" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">石手川渓流に沿って巨大な「奥道後ホテル」が建つ。（ホテル裏手、プールサイド）</span><br><br />
ここには嘗て、京都のより遥かに立派な「金閣寺」が、山裾に建っていた。映画館も2~3館あった。飲食街・ゲームセンター・みやげ物店・ロープウェイで登る山頂でのバーベキューなど、山間に開けた一大歓楽街だった。<br />
……………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0670-1.jpg" width="400" height="300" alt="遊歩道" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">この遊歩道の近くに、燦然と輝く金閣寺が建っていた。</span><br><br />
あれから20年も経っただろうか。いま、私は嘗ての歓楽街に立っている。<br />
谷間の遊歩道は部分的には残っているものの、金閣寺を始めほとんどの建物は消え去っていた。遊歩道の途中に、「湧ヶ淵」という険しい岩場がある。ここに昔から悲しい伝説が語り伝えられているので紹介しょう。<br />
●昔、この山深い里に、狩人の半蔵という若者が住んでいた。半蔵が獲物を狙って山道を歩いていると、若い美しい娘と出会った。次の日も、また次の日も、お互い話を交わすことも無く、ほぼ同じ場所で出会うことを不思議に思った半増は、或る日、娘の後をそっと付けてみると「湧ヶ淵」の近くでフッと姿が見えなくなった。半蔵は辺りが暗くなるまで娘の姿を追い求めたが結局、探し当てることができなかった。<br />
<img src="images/DSCN0673-1.jpg" width="280" height="373" alt="湧ヶ淵" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">今の「湧ヶ淵」。昔は人も簡単に入り込めない、険しい谷であった。</span><br><br />
それから何ヶ月経ったろう。姿を見なくなると思いは募るばかり。しかし、いつもの山道で美しい娘と出会うことはなかった。<br />
或る日、半蔵が「湧ヶ淵」まで来ると、俄かに風雨が強くなったかと思うと、岩の間から大蛇が大きな口を開け向かってきた。身の危険を感じた半蔵は、とっさに大蛇の体めがけて銃砲を放った。やがて風雨が治まり我に返った半蔵の目に映ったものは、血に染まった美しい娘の姿であった。<br />
半蔵の腕の中で、娘は「大蛇の化身と知られたくなくて……」と、涙を流しながら息絶えたという。　半蔵は咽びながら、いつまでも娘を抱いていた。<br />
……………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0681-1.jpg" width="400" height="300" alt="山全景" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">前方の山裾にホテル・レストランが今も営業している。山の中央がロープウェイ。</span><br><br />
ジャングル風呂・ホテルは健在で、近年、韓国・中国からの観光グループがよく利用するという。悲しい伝説と古の繁栄を包み込んで、山麓は、初秋のやわらかい陽光を一杯に浴びていた。<br />
<img src="images/DSCN0691-1.jpg" width="400" height="300" alt="メルヘン" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">山を下った石手寺近くで、可愛らしいガーデニングのアレンジを発見。</span>]]></content></entry><entry><title>エキゾチック庭園と、広島市民球場界隈。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=925206" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=925206</id><issued>2008-10-08T16:30:10+09:00</issued><modified>2008-10-11T23:58:51Z</modified><created>2008-10-08T07:30:10Z</created><summary>広島中央公園の城南通りに面した一角に、エキゾチックな別天地がある。
「諭華園」という中国様式の庭園で、友好都市の記念として四川省・重慶市からプレゼントされたものらしい。


ここは中国ではないかと錯覚するほど、エキゾチックな庭園が広がる。
庭園の広さは...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>散策の風景</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[広島中央公園の城南通りに面した一角に、エキゾチックな別天地がある。<br />
「諭華園」という中国様式の庭園で、友好都市の記念として四川省・重慶市からプレゼントされたものらしい。<br><br />
<img src="images/DSCN0706-1.jpg" width="400" height="300" alt="中国庭園a" class="pict" /><br><br />
<img src="images/DSCN0704-1.jpg" width="400" height="300" alt="庭園ｂ" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">ここは中国ではないかと錯覚するほど、エキゾチックな庭園が広がる。</span><br><br />
庭園の広さは1,700平方メートルあり、中央の洗秋池をぐるっと回遊できるよう散策路が設けられていた。庭内のどの位置からも一服の絵になるよう工夫が凝らされていて、東屋の漆塗りの腰掛から池を眺めていると、野鳥が囀りながら木々を飛び交い、ここが広島の街中であることを一瞬、忘れてしまう。<br />
……………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0694-1.jpg" width="400" height="300" alt="広島球場" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">1957年に近代的設備を誇りオープンした球場も、今では老朽化著しい。</span><br><br />
長年、多くのフアンに親しまれてきた「広島市民球場」は、間もなく閉鎖される。数々の名勝負が展開され、多くの名選手を送り出した市民球場も、老朽化とモータリゼーションの時代に適応せず、止む無く52年の歴史にピリオドを打つ。（2009年3月31日、閉場予定）<br />
新球場は、市内南区・JR広島駅の近くで、2009年春の開幕を目指して工事を急いでいる。膨大な維持管理費用のねん出のため、新球場の名前は企業による命名権募集を採用する。<br><br />
<img src="images/DSCN0695-1.jpg" width="280" height="373" alt="鯉のモニュメント" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">市民球場の裏に立つ、広島らしい鯉のモニュメント。</span><br />
……………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0698-1.jpg" width="400" height="300" alt="体育館" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">モダンな体育施設「広島グリーンアリーナ」の遠望。</span><br><br />
ともかく広島は樹木の茂る公園が多い。球場裏手の「広島グリーンアリーナ」の辺りでは、若者が三々五々、思い思いの緑陰を楽しんでいた。<br />
初秋の、冷気を含んだ風がさわさわと吹き抜け、落ち葉が舞い落ちる風景は、けっこう贅沢なひとときだと感じつつ雰囲気を楽しみながら、楠木町のビルを目指して再び歩き始めた。<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>友人の作品展を掛け持ち鑑賞。秋を味わう。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=918412" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=918412</id><issued>2008-10-02T00:52:44+09:00</issued><modified>2008-10-01T15:53:00Z</modified><created>2008-10-01T15:52:44Z</created><summary>親しくしている友人らが、松山市内で作品展を開催すると案内状をもらった。１つは「万翠荘」。もう１つは「NHKアートギャラリー」である。
台風15号の影響で、昨日から降り続く激しい雨がうっとうしい。
”芸術の秋”と呼ばれるこの時節、少し肌寒くなるとロマンティック...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>芸術・伝統文化</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[親しくしている友人らが、松山市内で作品展を開催すると案内状をもらった。１つは「万翠荘」。もう１つは「NHKアートギャラリー」である。<br />
台風15号の影響で、昨日から降り続く激しい雨がうっとうしい。<br />
”芸術の秋”と呼ばれるこの時節、少し肌寒くなるとロマンティックな気分になる。芸術に引かれる所以かもしれない。<br />
…………………………………………………………　<br />
<img src="images/DSCN0653-1.jpg" width="400" height="300" alt="館内展示" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">「万翠荘」での作品展風景。フランス形式の洒落た室内で。</span><br><br />
「万翠荘」では”手仕事６人展”が開催。<br />
６人中４人が親しい友人で、中でも、常盤さんは大の親友だ。美人の和装の店経営者である。彼女のイラストレーションは独特で、ちりめんに型染めのパターンをあしらい、部分刺繍をほどこすという力作。<br />
…………………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0661-1.jpg" width="400" height="300" alt="万翠荘" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">周囲の木々と、雑踏から隔離された静寂な場所に、フランス様式の建物が似合う。</span><br><br />
「万翠荘」は旧松山藩主・久松家の邸宅で、大正11年フランスの技術者によって設計建築されたという。建物外観、内部の造りは共に、純フランス風の華麗さを今に伝承している。すぐ近くに、正岡子規と夏目漱石が句作に励んだ「愚陀仏庵」や「坂の上の雲ミュージアム」がある。<br />
…………………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0669-1.jpg" width="300" height="400" alt="NHK庭池" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">NHK松山放送局の前庭は、池を覗く少女のブロンズが愛らしい。</span><br><br />
「NHKアートギャラリー」は、堀の内のNHK松山放送局建物内にある。いま、<br />
”どんぐりころころ絵描展”開催中で、グループはほぼ女性で成り立っている。　親しい友人の向井さんは、いきなり受付４〜５人の中に居た。66才にしては朗らかで若々しい。　夫妻で「日本列島・自転車旅」をやってのけた。その後、今度は女身一人で「列島自転車一人旅」を完遂。高血圧・不整脈などものともせず、ひたすら目的達成のパワーに感服。<br><br />
<img src="images/DSCN0665-1.jpg" width="401" height="301" alt="向井さん夫婦" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">60代半ばでも朗らかで若々しい、向井さんご夫妻。</span><br />
<img src="images/DSCN0664-1.jpg" width="400" height="300" alt="ロビー展示" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">楽しい作品が並ぶ、NHKアートギャラリーでの展示風景。</span><br />
…………………………………………………………<br />
外は相変わらず降りしきる雨である。　<br />
しかし私の心は、友人らのパワー溢れる作品に触れ、一気に陽が射したように明るかった。<br />
]]></content></entry><entry><title>我が家の、「お宝公開！」シリーズ?</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=908860" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=908860</id><issued>2008-09-25T09:32:20+09:00</issued><modified>2008-09-25T00:32:36Z</modified><created>2008-09-25T00:32:20Z</created><summary>生活の必需品ではないが、長く生活していると、いつの間にか部屋の片隅に色んなものがタマッテくる。
前回、当ブログ上で我が家の「アジアのアート」を紹介した。いわば続編のようなもので、その一部を公開します。
………………………………………………

●江戸の歌舞伎役者・浮世絵木...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>芸術・伝統文化</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[生活の必需品ではないが、長く生活していると、いつの間にか部屋の片隅に色んなものがタマッテくる。<br />
前回、当ブログ上で我が家の「アジアのアート」を紹介した。いわば続編のようなもので、その一部を公開します。<br />
………………………………………………<br />
<a href="images/DSCN0647-1.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCN0641-1.jpg" width="400" height="300" alt="歌舞伎木版画" class="pict" /></a><br><br />
<span style="font-size:large;">●江戸の歌舞伎役者・浮世絵木版画</span><br />
当世人気役者の、いわばプロマイドのようなもので、庶民にとって歌舞伎見物は高嶺の花。せめて贔屓（ひいき）の役者絵を眺めて、舞台の雰囲気を楽しんだようだ。我が家には、30枚近くあるだろう。役柄をいきいきとした表情と色彩で、堂々と描いている。彫師・摺元の連係プレイも感心する。<br><br />
………………………………………………<br />
<a href="images/DSCN0648-1.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCN0648-1.jpg.400px.jpg" width="300" height="400" alt="観音さん" class="pict" /></a><br><br />
<span style="font-size:large;">●九谷焼の観音像</span>　（高さ・約70センチ）<br />
優しく慈愛に満ちた表情。艶やかな着物の模様。ずっしりとした重量。このような見事な観音像は、あまりお目にかかったことが無い。<br />
全身に眩いばかりの純金をあしらい、緻密な絵柄に、華麗な要素も加味して、惚れ惚れとする一品だ。<br><br />
………………………………………………<br />
<a href="images/DSCN0652-1.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCN0652-1.jpg.400px.jpg" width="400" height="300" alt="柄鏡" class="pict" /></a><br><br />
<span style="font-size:large;">●江戸の柄鏡　</span><br />
浮世絵によく登場する小道具の１つ。妖艶な美人が、鏡台にセットされたこの柄鏡で櫛を通している姿を描いている。<br />
骨董の店で、ひょいと見つけ買い求めた。漆塗りの箱は蒔絵が。白金の鏡の裏には松竹梅・鶴亀の招福絵柄が浮き彫り。全体に金泥が施されている。<br><br />
………………………………………………<br />
<a href="images/DSCN0649-1.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCN0649-1.jpg.400px.jpg" width="400" height="300" alt="弁当入れ" class="pict" /></a><br><br />
<span style="font-size:large;">●江戸時代の携帯弁当入れ</span>　（高さ・約40センチ、幅・約35センチ）<br />
漆（うるし）の胴体には足が取り付けてあり、彫金の金具かざり・蒔絵が施されている。朱の吊り紐も鮮やか。　藩主が自然の中で季節を楽しむ際、家来に持って行かせた弁当入れ。<br><br />
………………………………………………<br />
<a href="images/DSCN0647-1.jpg" target="_blank"><img src="images/DSCN0647-1.jpg.400px.jpg" width="300" height="400" alt="壷" class="pict" /></a><br><br />
<span style="font-size:large;">●中国の象嵌漆・花入れ</span>　（高さ・約70センチ）<br />
真鋳をたたき出して形にした壷に、黒漆を丁寧に塗り重ね、虹色の大型貝を象嵌に使った花入れ。<br />
絵柄は牡丹と鳳凰。左右の取っ手も鳳凰の彫金で細かい作業が気に入っている。我が家では、花無しでそのままインテリアとして飾っている。<br><br />
………………………………………………<br><br />
シリーズ、次回に続く(但し、不定期掲載）。<br />
<br />
<br />
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]]></content></entry><entry><title>伝説の地探訪(8)  伊予路に伝わる、皇子・皇女の哀愁ドラマ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=902665" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=902665</id><issued>2008-09-19T09:05:11+09:00</issued><modified>2008-09-19T00:05:43Z</modified><created>2008-09-19T00:05:11Z</created><summary>
うら若き都人、皇女が隔離されたという、今の潮見の山麓。
都では、第19代・※允恭（いんぎょう）天皇の時代。天皇には、心優しく思慮深い木梨軽（きなしかる）皇子、色白で美人の誉れ高い軽大娘（かるのおおひめ）皇女、ずる賢い※穴穂（あなほ）皇子の3人の子供がいた...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>歴史ストーリー</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<img src="images/DSCN0638-1.jpg" width="400" height="300" alt="潮見の山" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">うら若き都人、皇女が隔離されたという、今の潮見の山麓。</span><br><br />
都では、第19代・※允恭（いんぎょう）天皇の時代。天皇には、心優しく思慮深い木梨軽（きなしかる）皇子、色白で美人の誉れ高い軽大娘（かるのおおひめ）皇女、ずる賢い※穴穂（あなほ）皇子の3人の子供がいた。允恭天皇の死去に伴い、2人の皇子が跡継ぎをめぐって争いを起こし、双方の派閥が骨肉の争いを始めた。結果は悲惨なもので、勢力に勝る次男の穴穂が「木梨軽と軽大娘が、許されぬ間柄になっている」と宮中に噂を立て、結局、これが最大の罪となり、弟側に付いた権力者らのバックアップで2人は遠く「伊予の国」へ島流しを命ぜられたのだった。<br><br />
　　<span style="font-size:x-small;">※允恭（いんぎょう）天皇・在位412年〜453年。<br />
　　※穴穂（あなほ）皇子は結局、第20代安康天皇となるも・在位454年〜456年の短さで死去。</span><br><br />
<img src="images/DSCN0640-1.jpg" width="400" height="300" alt="青い朝顔の花" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">潮見の里で鮮やかに、ひっそりと咲く朝顔の花。</span><br />
……………………………………………………<br />
木梨軽皇子は伊予国の川之江・妻鳥（現・東宮）。軽大娘皇女は伊予国の松山・潮見へ。　僅かな世話人と粗末な住まいを与えられた皇女は、宮中の雅な生活と余りにもかけ離れた山里の、暗くさみしく辛い毎日に、幾度「死」を考えたことだろう。<br><br />
<img src="images/DSCN0630-1.jpg" width="400" height="533" alt="池の畔の「姫神社」" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">皇女・軽大娘が、都を想い散策したという池の畔に「軽の神社」が建っている。</span><br><br />
そんな2人の心を支えたのは、同じ伊予国内に暮らすことで、いつかきっと再会出来ると希望を持ったことだ。　里の人達は、教養豊かで品性溢れる2人を、それぞれの地で優しくいたわった。<br />
そして月日は流れて三年後、里人同士の密かな企みで、兄皇子が潮見の里へやってきた。　お互い涙にくれながら、一日千秋の思いで待ち続けた再会の実現を大いに喜んだという。<br />
しかし、間もなく妹・皇女は心身の衰弱で死去すると、兄も後を追うように<br />
この世を去ったという。<br><br />
<img src="images/DSCN0636-1.jpg" width="400" height="300" alt="五輪塔二基" class="pict" /><br />
「<span style="font-size:x-small;">軽の神社」から山に向かって、細い道をしばらく歩くと「五輪塔」がある。(左）皇女、(右）皇子。</span><br><br />
まだ若過ぎる兄妹の死を、里人らは嘆き悲しみ、潮見の里を「姫原」と名付け、皇女が散策した池の傍に「軽（かる）の神社」を。また、住まいのあったと思われる山麓に2人の「五輪塔」を建て、今も丁重にお祭りしている。<br />
……………………………………<br />
　　木梨軽皇子の歌<br />
　　・天飛ぶ鳥も使ぞ　鶴（たつ）が音の聞えむ時は　我が名問はせぬ<br />
　　軽大娘皇女の歌<br />
　　・君が行きて長くなりぬ　山鳥の迎へを行かむ　待つには待たじ<br />
<br />
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　（古事記　抄）<br />
<br />
]]></content></entry><entry><title>伝説の地探訪（7)　　松尾芭蕉の母は、愛媛の生まれ？</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=902034" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=902034</id><issued>2008-09-14T09:45:40+09:00</issued><modified>2008-09-14T00:44:10Z</modified><created>2008-09-14T00:45:40Z</created><summary>松山の伊予鉄高浜線の駅「みなとやま」で降りる。　小高い山が海に面して二つあり、その間の道を200メートルも歩くと渡し舟の乗り場に出る。　
目と鼻の先に対岸の三津の港があって、渡船はこの間を往復して通勤や買い物客、学生たちを運ぶ。　渡船は元禄4年に開設したそ...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>散策の風景</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[松山の伊予鉄高浜線の駅「みなとやま」で降りる。　小高い山が海に面して二つあり、その間の道を200メートルも歩くと渡し舟の乗り場に出る。　<br />
目と鼻の先に対岸の三津の港があって、渡船はこの間を往復して通勤や買い物客、学生たちを運ぶ。　渡船は元禄4年に開設したそうだから歴史は古い。手漕ぎからエンジンに代っても、今も地域の人達には重宝な存在である<br><br />
<img src="images/DSCN0613-1.jpg" width="400" height="300" alt="三津の渡し" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">ほんの目と鼻の先だが、最短距離を結ぶ渡し舟は住民の大切な足。</span><br />
……………………………………………………………<br />
二つの山があると言ったが、海側から見て左が「港山」、右が「観月山」であり、観月山の裾野に「洗心庵/不動尊」があって、松尾芭蕉の句碑「笠を舗（しい）て　手を入（いれ）てしる　かめの水」が建っている。かめの水は「亀水（きっすい）」と書き、今は庵の傍に亀水塚がある。<br><br />
<img src="images/DSCN0625-1.jpg" width="400" height="300" alt="洗心庵" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">「洗心庵」があった場所。芭蕉・一茶・子規へと続く、わが国俳句の歴史を刻んだ場所でもある。</span><br />
<img src="images/DSCN0626-1.jpg" width="300" height="400" alt="芭蕉の句碑" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">芭蕉の「笠を舗いて手を…」の句碑が敷地内に建っている。</span><br><br />
松尾芭蕉が愛媛とゆかりがあってこその句である。寛政7年と8年の二回、この地を訪れた小林一茶は、芭蕉をしのんで「汲みて知る　ぬるみに昔　なつかしや」の句を残した。<br />
芭蕉、一茶の訪れた頃は、白砂青松。遠浅の海に穏やかな波が岸辺をなめる、絶好のロケーションだったに違いない。<br><br />
<img src="images/DSCN0610-1.jpg" width="400" height="300" alt="今の三津浜港" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">現在の三津浜港。遠景の小高い山が観月山で、その岸辺に洗心庵がある。</span><br />
……………………………………………………………<br />
さて、芭蕉の話に戻ろう。　松尾芭蕉(天保元年〜元禄7年・1644~1694)　伊賀国上野の生まれ。母は伊予国・今治生まれで今治城主、藤堂高虎の家来、桃地姓を名乗る家柄だった。「今治夜話」に「芭蕉の母儀今治御前と云ふ。芭蕉翁実母、今治産なり」とある。 <br />
寛永12年（1635)、高虎が今治から伊賀国名張に移籍する際、桃地家も同行したものと思われる。芭蕉の母は伊賀で男2人、女4人を生んでいる。<br />
長じて芭蕉は、伊予の国に殊のほか愛着の念を持ったに違いない。<br><br />
<img src="images/DSCN0622-1.jpg" width="300" height="400" alt="観月山不動尊" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">観月山の中腹にある、不動尊の佇まい。　海岸の「洗心庵不動尊」が分離移築されたのか。</span><br />
……………………………………………………………<br />
もう一方の山には、伊予水軍・河野通信の「港山城」があって、源平合戦では源氏側の勝利に大いに貢献したという。<br />
港山は、歴史と文学に満ちたロマン溢れる里だった。<br />
]]></content></entry><entry><title>伝説地探訪（6）その昔、宇宙から落下した「天山」</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=897735" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=897735</id><issued>2008-09-10T10:28:21+09:00</issued><modified>2008-09-10T01:28:14Z</modified><created>2008-09-10T01:28:21Z</created><summary>松山市郊外、松山南環状線と国道33号線が交差する場所に「天山」がある。
標高50メートル。山の周囲、約1,520メートルの小高い、何の変哲も無い山だが、今から1,300年近く昔の※「伊予風土記」に、この山がすでに登場している。

天山の遠望。(丘陵の一部）山の周囲は住...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ミステリー・スポット</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[松山市郊外、松山南環状線と国道33号線が交差する場所に「天山」がある。<br />
標高50メートル。山の周囲、約1,520メートルの小高い、何の変哲も無い山だが、今から1,300年近く昔の※「伊予風土記」に、この山がすでに登場している。<br><br />
<img src="images/DSCN0601-1.jpg" width="400" height="300" alt="天山遠望" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">天山の遠望。(丘陵の一部）山の周囲は住宅が密集してきた。</span><br />
<span style="font-size:x-small;">(※和銅6年(713)、元明天皇の詔により、諸国に対して、郡郷の名前の由来、産物、地味、地形、伝承などを、中央政府に報告するよう命じられ、編纂された「伊予国の編」で、古代の地誌。)</span></span><br><br />
<img src="images/DSCN0590-1.jpg" width="400" height="300" alt="天の香具山との交流碑" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">大和国（奈良）の香具山と、伊予国（愛媛・松山）の天山が元は１つであったという、交流の碑が建立されている。</span><br />
……………………………………………………<br />
「伊予風土記・天山」の原文を要約すると、もともと天上（宇宙）にあった固まりが、地球上に落下する途中で二つに割れた。　１つは大和国の「天の香具山」（あまのかぐやま）。もう１つは、伊予国の「天山」となった。と記されている。<br />
古の昔、のどかな田園、原野の広がる里に、こんもり碗を伏せたような天山は、里人達にとって心の縁（よすが）であったに違いない。<br><br />
<img src="images/DSCN0589-1.jpg" width="400" height="300" alt="天山神社" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">天山神社の社の一部。本神殿はこの前にある。周囲は樹木で覆われ、野鳥のさえずりが長閑だ。</span><br />
……………………………………………………<br />
また、縄文・弥生・古墳時代の遺跡が天山の各所で見つかっていることから、この頃からすでに里人の信仰の対象であったことが分かる。<br />
今は、大型スーパーや温泉施設、マンションなどが林立し、嘗ての面影を知る由も無いが、頂上に上ると、下界の雑踏から開放され、深い木立に野鳥のさえずり、　涼やかな風が一瞬の清涼剤だった。<br><br />
<img src="images/DSCN0594-1.jpg" width="400" height="300" alt="天山より市街を望む" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">天山から眼下を見る。ビルや商店が立て込み古の里の長閑さは想像できない。</span><br><br />
頂上には天山神社が鎮座し、天の香具山との交流を記した記念碑もある。（写真・参照）　また、古（いにしえ）人の歌碑や外国からの客人用に、英語の解説ボードも用意されている。<br />
……………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0603-1.jpg" width="400" height="300" alt="山すその温泉施設" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">天山の裾のまで、温泉の施設が迫り、車がひきもきらず往来する。</span><br><br />
取材を終えると、再び長く急な階段を下り、下界の喧騒の中に身を委ねる。折りしも、携帯電話のベルが「ボレロ」の旋律と共に、私を現実に呼び戻した。<br />
携帯は妻からであった。三越で開催の「院展」鑑賞を終え、「迎えに来て欲しい」という。　近くの駐車場から、私は雑踏の中へ車上の人となる。<br />
]]></content></entry><entry><title>高浜沖を、モーターボートで遊ぶ。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=893535" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=893535</id><issued>2008-09-05T12:21:50+09:00</issued><modified>2008-09-08T10:41:04Z</modified><created>2008-09-05T03:21:50Z</created><summary>友人のボートをチャーターして、初秋の松山の海を楽しむことになった。
前日は強風が吹き、時折の雨交じりで心配したが、一転、今日9月4日は風も穏やか。天候に恵まれ絶好のコンディションだ。
ここも、友人所有のヨットハーバー「ブルー・エンジェル」から、午後２時出...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>クルージング</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[友人のボートをチャーターして、初秋の松山の海を楽しむことになった。<br />
前日は強風が吹き、時折の雨交じりで心配したが、一転、今日9月4日は風も穏やか。天候に恵まれ絶好のコンディションだ。<br />
ここも、友人所有のヨットハーバー「ブルー・エンジェル」から、午後２時出航。<br />
<img src="images/DSCN0172-1.jpg" width="400" height="300" alt="ボート全景" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">ただ今から出航のため、ボートをクレーンで下ろす。</span><br />
……………………………………………………<br />
操縦の河本さんは41才と若いが、ボート歴は長い。現在のは２艘目である。その彼に同乗の4名は生命を預けることになった。<br />
やや強い風は、初秋の冷気を含み心地よかった。　波は、沖に出るほど高くなり、船底を容赦なく激しくたたいた。　日により、やわらかい波と固い波があるそうで、今日のは固いという。<br />
<img src="images/DSCN0138-1.jpg" width="400" height="300" alt="河本氏と親" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">（右）操縦の設計士・河本さんと、（左）デザイナーのShinさん。</span><br><br />
エンジン音は、ボートの前部ではほとんど気にならない。　同乗の二人が釣りを楽しんでいる間、私は前部デッキで仰向けに寝そべった。<br />
舟にぶつかる波音以外、物音一つしない、異次元の世界がここにあった。　青い空一面にうろこ雲が広がり、飛行機が小さく様々の思いを乗せて飛んでいる。<br />
<img src="images/DSCN0153-1.jpg" width="400" height="300" alt="うろこ雲" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">空はすっかり秋の様相。白いうろこ雲が青をバックに殊更映える。</span><br />
<img src="images/DSCN0158-1.jpg" width="400" height="300" alt="つりの収穫" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">この日、大物こそ釣れなかったが瀬戸の小魚が大漁だった。</span><br />
……………………………………………………<br><br />
興居（ごご）島が眼前にワイドに広がる。<br />
面積9.3平方キロメートル。古くから果樹栽培の島として発展し近年は「温州みかん」「伊予柑」「キーウイフルーツ」など出荷している。<br />
存分楽しんだ帰りに、四十島の傍を通過してもらった。<br />
<img src="images/DSCN0167-1.jpg" width="400" height="300" alt="ターナー島" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">夏目漱石の小説「坊ちゃん」で一躍有名になった「ターナー島」をバックに。</span><br><br />
この島は、夏目漱石の小説「坊ちゃん」でターナー島と書かれたことから、<br />
この名がすっかり定着している。ベージュの島肌に緑の松が良く似合っている。<br />
近年、波の侵食が激しくて往時ほど松が茂っていないのが残念だ。<br />
2時間半のクルージングを終え、無事、ハーバーに帰還する。　心地よい海風を存分に頂き、非日常のひと時を満喫することが出来た。<br />
Kさん、同行の皆さん、ありがとう！<br />
]]></content></entry><entry><title>我が家で楽しむアジアン・アート。</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=887514" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=887514</id><issued>2008-08-30T18:46:59+09:00</issued><modified>2008-08-30T12:04:50Z</modified><created>2008-08-30T09:46:59Z</created><summary>もう10数年も前に、アジアとヨーロッパ各地を旅した。
中でもマニラ滞在は楽しかった。添乗員も同行したから言葉の不自由も無く、何だか、日本の田舎に帰ったような、妙な懐かしさを抱きながら現地の人達と交流を重ねた。
顔立ちも日本人とさして変わらない。日本語もけ...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>出会いの不思議</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[もう10数年も前に、アジアとヨーロッパ各地を旅した。<br />
中でもマニラ滞在は楽しかった。添乗員も同行したから言葉の不自由も無く、何だか、日本の田舎に帰ったような、妙な懐かしさを抱きながら現地の人達と交流を重ねた。<br />
顔立ちも日本人とさして変わらない。日本語もけっこう通じたりする。<br />
………………………………………………………………<br />
<img src="images/DSCN0124-2.jpg" width="400" height="300" alt="木彫２体" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">マニラ郊外の工房で見つけた木彫。高さ１メートルある。</span><br />
<br><br />
男女の木彫は、マニラ郊外の工房で買い求めたもの。値引交渉も旅の楽しみの一つ。<br />
お気に入りの木彫。一体8万円というのを、根気よく半額までダウンさせ2体購入した。宿泊先の「ラマダホテル」のフロントは、日本語オーケーでサービスも満点。マニラ湾の夕日は、宣伝に違わず雄大で感動的だった。<br><br />
<img src="images/DSCN4696-1.jpg" width="300" height="400" alt="女性石彫刻" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">美しい女性の石像。品性のある表情とポーズが気に入っている。</span><br />
………………………………………………………………<br><br />
<img src="images/DSCN0123-1.jpg" width="400" height="300" alt="２体の石彫刻" class="pict" /><br />
<img src="images/DSCN0120-1.jpg" width="400" height="533" alt="鬼面立像" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">この石像は、高さ約140センチもあり、大人3人がかりでやっと運べる重量。</span><br><br />
最近、ひょんなことから、6体の石彫が手に入った。<br />
いずれも「バリ」のもので、ホテルかレストランに置かれていたものに違いない。なかなか、堂々と美しい。<br />
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我が家の玄関周辺にさりげなく配置し、アジアン・アートを楽しんでいる。<br />
インドの照明器具。インドネシア真鋳製の仏像と花入れ。<br />
今ではすっかり我が家に溶け込み、それらしい雰囲気を醸し出している。<br />
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]]></content></entry><entry><title>広島TOWN ・瀬戸の夕暮れ</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=881625" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=881625</id><issued>2008-08-23T16:52:09+09:00</issued><modified>2008-08-23T10:20:02Z</modified><created>2008-08-23T07:52:09Z</created><summary>8月15日（金）広島市内散策

今回、初めて訪れた「縮景園」の美しい庭園。
広島を訪れると、4~5日は滞在することにしている。ビジネスを兼ねているので、週末にかかれば努めて足を延ばすことに決めている。
広島美術館。隣の縮景園。文化ライブラリー。マリンホップな...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ノスタルジック</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<span style="font-size:medium;">8月15日（金）</span>広島市内散策<br><br />
<img src="images/DSCN0109-2.jpg" width="400" height="300" alt="縮景園" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">今回、初めて訪れた「縮景園」の美しい庭園。</span><br><br />
広島を訪れると、4~5日は滞在することにしている。ビジネスを兼ねているので、週末にかかれば努めて足を延ばすことに決めている。<br />
広島美術館。隣の縮景園。文化ライブラリー。マリンホップなど、お気に入りは2~3度、足を運んでいる。　どこも緑豊かで広々と美しい街だ。<br />
「イオンモール広島府中ソレイユ」がオープンしたので覗いてみることにした。<br />
広島駅から車で4^5分といったところか。近年、広島駅の近辺は大型店の進出が相次いでいる。　ビックカメラも堂々と威容を誇っていた。<br />
近く、手狭になった広島市民球場に替わって、新球場がこの近くにオープンするべく準備中である。<br><br />
<img src="images/DSCN0101-2.jpg" width="400" height="300" alt="店内ー２" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;"><br />
「イオンモール広島府中ソレイユ」の店内風景。人びとで混雑していた。</span><br><br />
<img src="images/DSCN0102-2.jpg" width="400" height="300" alt="イオンモール店内" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">20分待ちでようやく入れたレストラン。値段は繁華街より2~3割り高い。</span><br><br />
さて、「イオンモール・ソレイユ」はお盆でもあり人で混雑していた。<br />
昼食を取ろうとグルメタウンを歩いたが、どこも予約で一杯。それでも20分ほど待たされたが、一軒のレストランに席を確保した。メニューはどれも高目だが、「焼き立てパンのお替り自由」がうれしい。<br />
目新しい商品を扱う店舗が軒を並べ、それぞれに若者で賑わいを見せている。私も旅行者気分でひとときを楽しむ。<br />
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<span style="font-size:medium;">8月17日（日）</span>瀬戸内海<br><br />
<img src="images/DSCN0114-2.jpg" width="400" height="300" alt="瀬戸夕景ー１" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">瀬戸の島影に静かに沈み行く太陽。長く延びた光の影は、漣にキラキラまぶしかった。</span><br><br />
広島・宇品港17時45分発のフェリーは、お盆の帰省客でほぼ満席である。<br />
賑やかな船内を離れ、私はデッキのベンチでゆったりと、暮れなずむ海の風景をぼんやり眺めていた。　夕暮れの潮風が心地よく全身を吹き抜けてゆく。<br />
「瀬戸は日暮れて　夕波小波。　あなたの島へお嫁に行くの。　若いと皆んなが心配するけれど……」　小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」を、つい口ずさんでいる。<br />
あの歌の情景はこんなだったに違いないと思った。　夕日が島影に少しずつ<br />
沈んでゆく。　極めて穏やかな、瀬戸内海の夕景である。<br><br />
<img src="images/DSCN0112-2.jpg" width="400" height="300" alt="瀬戸ゆうけい" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">古より、幾多の歴史を飲み込んできた瀬戸内の海は、いま、何事も無かったように穏やかに広がっていた。</span><br />
………………………………………………………<br />
590年ほど前、この平和な海は、海賊の横行する野蛮な海だったことを、あなたは知っているだろうか。<br />
源氏と平家が壇ノ浦で戦った時代。そして権力闘争で多くの犠牲を強いられた戦国時代。　瀬戸内海を知り尽くした海賊は、「伊予水軍」と名乗り、その特性をおおいに発揮した時代でもあった。<br />
]]></content></entry><entry><title>千の風になって…。四国霊場47番「八坂寺」</title><link rel="alternate" type="text/html" href="http://michio.yokaclub.com/?eid=872171" /><id>http://michio.yokaclub.com/?eid=872171</id><issued>2008-08-14T19:02:37+09:00</issued><modified>2008-08-14T10:56:44Z</modified><created>2008-08-14T10:02:37Z</created><summary>今日８月13日は「入りの盆」。先祖をお迎えするため夕刻、自宅で火を焚く風習が伝承されている。これを迎え火と言って、先祖はこの時、馬に乗って、急いで駆けつけるという。
蒸し暑さが残るここ伊予路の山ふところ、暮れなずむ浄瑠璃寺の里には入道雲がドラマチックな風...</summary><author><name>松山のカーネルおじさん</name></author><dc:subject>ミステリー・スポット</dc:subject><content mode="escaped" type="text/html" xml:lang="ja"><![CDATA[<strong>今日８月13日は「入りの盆」。先祖をお迎えするため夕刻、自宅で火を焚く風習が伝承されている。これを迎え火と言って、先祖はこの時、馬に乗って、急いで駆けつけるという。<br />
蒸し暑さが残るここ伊予路の山ふところ、暮れなずむ浄瑠璃寺の里には入道雲がドラマチックな風景を創り出していた。<br><br />
<img src="images/DSC00182-1.gif" width="350" height="467" alt="虹" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">墓から空に向かって、美しい虹が緩やかに曲線を描いて伸びていた。</span><br />
…………………………………………………………………………<br />
久万から、険しい山道を松山方面へ下がる、いわゆる旧・久万街道には、四国霊場46番「浄瑠璃寺」、47番「八坂寺」が並んで存在している。<br />
八坂寺には私の生前墓がある。寺の敷地でもあり、見渡す景色が雄大で美しいことから、自分の墓はここしかないと15年ほど前に購入した墓所であった。<br><br />
<img src="images/DSC00184-1.gif" width="400" height="300" alt="虹と墓" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">霧に包まれた暮れなずむ墓所には、どこか現世を離れた別世界のようだった。</span><br><br />
「お墓の中に私は居ません。風や、雲や、花や、星になって、いつも貴方のそばに居ます」と、バリトン歌手の秋川雅史さんが歌ったが、あのフレーズで、墓に対する庶民の感覚が違ってきたように思う。　墓への執着心は薄れ、「そうか、墓が無くても愛した人は、いつも周りの自然の中で見守ってくれているんだ」と、気持ちを楽に持てるようになったのではないだろうか。<br><br />
<img src="images/DSC00201-1.gif" width="350" height="467" alt="虹と雲" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">人の形にも見える入道雲は、青い空をバックに清清しく浮かんでいる。</span><br />
…………………………………………………………………………<br />
とは言え、先祖の墓で花を飾り線香を上げると、幸せに語り合った在りし日の思い出が、走馬灯のように脳裏をよぎる。<br />
目に見えぬ相手と会話し、涙する人も居ることだろう。<br />
体の不自由な人、高齢や遠距離で墓参りが出来ない人に代わって、代理サービスのビジネスが繁盛しているらしいことを、偶然、ホームページで知った。<br><br />
<img src="images/DSC00192-1.gif" width="400" height="300" alt="六地蔵" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">霊園の片隅で、ふくよかに現世を見渡す六地蔵尊。</span><br><br />
標準コースが、基本料18,000円　　お手軽コースが、基本料13,000円。墓の坪数が増えるに従い、5,000円の加算で各種オプショ<br />
ンも付ける事が出来る。もちろん、遠距離の場合の交通費は実費加算であった。<br />
時代も変わったものと、つくづく感心したものだ。<br />
「八坂寺」では、8月15日に、お盆の「万灯供養法要」が行われ、夕刻の霊園におびただしい数の紙の灯篭が、幽玄の世界を展開<br />
する。</strong><br><br />
<img src="images/DSC00200-1.gif" width="350" height="467" alt="観音様" class="pict" /><br />
<span style="font-size:x-small;">千の風になって、自然の中に共に生きる愛する人の面影。いつもあなたの心<br />
に居ます。</span>]]></content></entry></feed>